いつも見守っていてくれる武甲山
セメントの山、武甲山
勇壮な山、武甲山は石灰岩の山として知られています。そう、セメントの原料ですね。
1917(大正6)年に浅野セメントが影森で石灰岩の採掘を開始し、1923(大正12)年には秩父セメントが設立され採掘が大規模化。その後も多くの石灰関連会社が創業し、秩父の経済を大いに支えてきました。今は秩父太平洋セメントというのが有名ですが、ははは、確かに太平洋セメントですよね。
というのも、武甲山はもともとハワイのあたりにあったということですから。
「南方(ハワイの方)にあった火山島が活動を終え、浸食によって削られサンゴ礁を纏うようになる。サンゴによってできた石灰岩を載せた海山は、プレートの動きにより北上し、深い海溝に引きずり込まれる。そして大陸プレートに押しつけられはがれ落ち、やがて隆起し浸食されることで地表に現れた山が武甲山である。」(WIKIより)
ということらしいのですよ。ですから確かに太平洋からとれたセメントというのは正解かも。
ちなみに武甲山は削られて削られて今は1304メートルですが、1900年の測量では1336メートルだったそうです。
わが身を削り世の中に貢献する。武甲山のセメントは日本中の道路になり、建物になっているのですね。
そう思うとふと見上げる武甲山に手を合わせてしまいます。
武甲山の名前のいわれをコピペしておきます。
☆ むかしむかし、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征されたおり、雁坂峠の頂上から秩父の山並みを眺め、武人のように堂々とそびえ立つ山の名をたずねました。
里人はその名を「秩父が嶽(たけ)」と答えました。
すると日本武尊はさっそくその山に登り、天の神・地の神をまつられたのです。
そしてその時、着用 していたご自分の甲(かぶと)を岩室(いわむろ)に納めたので、その後この山を「武甲山(ぶこうさん)」と呼ぶようになりました。
横瀬町のシンボル武甲山の名はこうして付けられたのです。
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